物語を作るということは地獄に向き合う行い

はじまりは子供向けの物語というのはどういう物語なのか? という問いからだった。

まぁ結局のところ多面的な問題なので一言でバシっと結論が出る問いではないのだが、自分なりに一面的な考察をしてみたので書いて残しておこうと思った。

それは現実世界に対してどう物語が向き合っているのか、ではないのか。

言うまでもなくこの世は苦界である。まぁほぼ地獄みたいなもんだ。

まだ周囲に愛されてチヤホヤされてる幼少期には分からないかもしれない。この世を楽園と感じているのかも。

なので幼少期には「この世は楽園である」ということを補強する物語が必要だ。純真な子供に残酷な真実を突きつける必要はない。

しかし小学生になる頃には早くもこの世が地獄であることに気付きはじめる。思い通りにいかない事が多いし、誰かと勝負して負けることも多い(特に子供は大人には敵わないし)、自分のことを嫌いな人間とも出会うことだろう。

とはいえ、まだまだ若い子らには希望を持って生きていってもらいたい。そのためには「基本この世は地獄だが自分の力でどうにかなる」という物語が必要だ。友情・努力・勝利。希望を持って戦っていれば最終的には平和な世界に生きられる。そう物語らなければいけない。

ほんでまぁ中学生にもなれば、努力して戦ったところでこの地獄はどうにもならないことに気付く。自分がいくら正しく生きようと犯罪はこの世からなくならいし、地球温暖化も止まらない。

そういった子には自傷的な「この世は地獄である」と語る物語で気付きを肯定してあげる必要がある。ただひたすら残酷なだけで刺激的な物語で、地獄を噛み締めさせてあげるのだ。後味を良くするために最後だけハッピーエンドにしておこう、くらいの優しさは必要かもしれない。

しかし中学生~高校生頃といえば割と自分の努力の素晴らしさに気付く年頃でもある。成長期であるため、頑張れば頑張るだけリターンを感じる人も多い。「この世は地獄ではあるがそんなに悪くない」程度のビターな物語が必要なのかもしれない。

更に長じれば、最早この世は地獄であることを受け入れて諦めているだろう。そんな年代には「ただ地獄を生きる」物語が良い。飄々として淡白にこの地獄を生きていく。ある意味、全てを諦めてただただ地獄に向き合うのだ。

でまぁ、これくらいともなると現実も地獄で物語も地獄なのはあまりに辛いので、楽園の物語が欲しくなるかもしれない。「君は地獄に生きているが楽園は確かにある」と楽園を垣間見せてくれる物語が良い。(要は萌え漫画とかのことだ)

そうしてなんやかんや地獄を生き抜いてくるとこう思う。この世は地獄でも楽園でもなく、この世はこの世である、と。

こうなってくると、ありのままの現実世界の物語を受け入れることができるようになる。もしくはもう物語なんていらないのかもしれない。好きな物語だけ選んで生きていけば良い。

 

結局、人生のステージにおいて現実社会がどう見えているかによって対応する物語があるんじゃないか。ってことが言いたかっただけ。